つれづれなる熊に

とあるババァの戯言集

夜更けに目が覚めたので、ブログを書けない理由とブログを書く理由を書いてみた。

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今週のお題「おうち時間2021」

 はじまりはTwitterからでした。

 睡眠リズムが狂う恐怖を感じながらも、結果6時間も寝てれば十分ではないかという楽観とのせめぎ合い。ツイッターのフォロワー数が少なく深夜ということもあり、気兼ねなく独り言を垂れ流すことに快感を覚えながらも、思いついた動詞を消しこむツイートを重ねていく。最後に残った「読む、書く、寝る」。

 その前に小腹がすいたので、4連カップのヨーグルトを1つ食べました。

 

 足を動かせば自然と体は動く。空になったカップを捨て、間接照明のスタンドをいくつか点け、机に向かう。連休中に借りてきた10冊の本が積まれています。

 読了できたのは8冊。なるほどと思った箇所に付箋を貼っていた。後ではがす際にその箇所だけ再読し、いずれはアウトプットにつなげようと思っていたものの、返却期限はあと2日。またもや読みっぱなしで、アウトプットにはつなげられそうにもありません。

 一冊手に取るも手が進まない。「読む」が消去。

 

 動く気配のない手を自由にさせてみたところ、脇にあったノートPCの電源を入れました。

 テレワークが続く中、PC含めた仕事道具をすべて押し入れに配置した。業務中は押し入れに向かってスタンディングスタイルで仕事をしています。業務終了後は、潔く押し入れの戸を閉めることでオンとオフを切り替えるわけで。

 今日は押し入れ勤務を終えた後、ブログ(別ブログ)の体裁を整える作業をしようと思い、PCをプライベート用の机に移動させていました。一旦開くものの気が進まず、先に早めの食事をして先述のツイートの状態に至ったというわけです。

 選択肢の「整える」を消去した時は、PCのモニターの青白い光を見る気分じゃないと思っていたのに、いざ行動してみるとPCを開くのだから不思議なものです。頭で考えるより、まずは行動してみろというのは、あながち嘘ではないことを知りました。

 ふと、Twitterに独り言を垂れ流すことも「書く」という動作ではないかと思いつつ、今ならブログに何か書けるのではないかと期待を抱き「書く」に至ります。

 

 前回、自分のメンテナンスをするためにブログ活動をするといったような内容の記事を書きました。この記事を書くまでにも随分と時間が空きましただが、その時は年度末の繁忙で書く時間と気持ちを確保できなかったのが一因です。それを踏まえて、職場を押し入れに移動させたわけですが、その後もなかなか書けずにいました。期間が開いてしまったというのが大きな要因でもあるのですが、それだけが書けない理由にはならないはずで。

 自分をメンテナンスするためには、どうしたら良いのかを考えていないから書けないのか。日頃まったく考えていなわけではないのですが、それは理詰めで考えるのでなく、思いつきに近い考えなわけで。書くためには材料不足と感じてしまい、補完しようと書籍に頼ってしまいます。

 

 連休中に借りて読んだ本の一冊に「50代から始める知的生活術~「人生二毛作の生き方」~ (だいわ文庫)」という本がありました。50歳にリーチがかかった状態で、50代の生活とはどんなものなのかを先取りしたくなりチョイス。

 読んでみて愕然としたことが一つあります。それまで自分が認識していた「知的」というのが、知識を取り込む(インプット)生活だと思っていたのです。辞書を確かめると「知識・知性の豊かなさま」と記されています。ところが、著者が言うところの「知的」は違いました。

 「知的生活」などと言います。なにをもってして知的というのか、そしてその知的なものが、後半の人生を充実させるためにはどうあるべきか。ー中略ー

 それは「知識」の積み重ねではありません。自分の頭で「考える」ことこそ人生を変えるチカラです。

50代から始める知的生活術~「人生二毛作の生き方」~ (だいわ文庫)

  本を読み漁り知識を頭に入れまくったところで、考えるチカラは身につかない。

 

 結局自分の考えがないので書けないのか。いや、書くために考えるのではない。考えるために書くのだとしたら、単にその術を身に着けていないだけなのです。

 せっかく自粛生活でたっぷりとおうち時間があるのだから、これからは書こう。まずは書こう。考えるより先に書こう。書いて考えて、考えて書いて。書きまくって考えまくって、そして、人生を”楽”に変えていこう。

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